永遠分の25

25/永遠(eien bunno niju-go)

【考察】『25歳永遠説』の女は『私がオバさんになっても』の女の娘ではないか

 (※このブログに書かれていることはすべて個人の感想です。)

 

 昨日私は世紀の大発見をしてしまった。以下のツイートである。

 

 バースデーイベントも当たったし,25歳永遠説でも聴きながら帰ろうかなと思い立った私は,早速ADIRAのリュックの底からイヤホンを手繰り寄せてBluetoothで接続しつつiTunesからタイトルを呼び出した。お馴染みのあのイントロが流れ始めた瞬間,不意にこの仮説が俊足で脳内を横切っていったのである。私は雷に打たれたような衝撃を受けた。……ちょっと盛ったかもしれない。だが,真冬にセーターを着て車のドアを触った時や罰ゲームのビリビリペンをノックした時よりは確実に強い衝撃を受けた。なるほど。そうかもしれない。いや,きっとそうに違いない。

【『25歳永遠説』の女は『私がオバさんになっても』の女の娘なのではないか】

 

 考えれば考えるほどしっくりくる。確かに『25歳永遠説』の主人公のあの自己肯定感の高さは,周りから愛情を目一杯注がれて育ったが故のそれだし,『私がオバさんになっても』ママは自己肯定感が常にMAXの愛され上手な娘を育てそうである。25歳永遠説ちゃん(仮)のお父さんは『らいおんハート』の彼かもしれない。「いつかもし子どもが生まれたら 世界で二番目に好きだと話そう」「君もやがてきっと巡り合う 君のママに出会った僕のようにね」とか言っちゃうお父さん。絶対イケメン紳士だし(木村拓哉の顔面で想像しています),日々花に水をやるように奥さんを愛するパパと,旦那さんに愛されている自信しかない自己肯定感チョモランマ級の可愛いママの元に生まれ,これでもかと愛情を注がれて育った女の子──『25歳永遠説』概念そのものである。

 

 個人的に,『25歳永遠説』の歌詞はこの世のあらゆる幸福の見本市だと思っている。ママになった地元の子や転職中(ということは都会でバリバリ働いているのかな)のあの子など,ふとしたときに顔が思い浮かぶ友達がいる幸福。彼女の中で「いい思い出」として保存されている恋の記憶。「あざとい」と揶揄されるほどに愛された経験と,投げかけられたその言葉をさらりと躱せる心の余裕。次の季節が迫りくるセンチメンタルを「どんなものを着よう」という高揚感で塗り替えられるしなやかさ。愛されて育った彼女はたくさんの愛を知っているので,日常に転がる何でもない顔をしたそれらがしあわせであることに気づくことができる。しあわせに気づけることは自己肯定感の向上とその維持につながり,そしてそれは,この歌詞が宛て書きされた宮崎由加のアイドル・タレントとしてのイメージとも一致する。

 

 『25歳永遠説』という曲が持つ「最高に幸せな輝きの中にふっと咲く鮮やかな寂寥感」は,〈卒業するこの曲のセンターとそれを送り出す仲間たちの関係性〉が滲み出ているというだけでなく,歌っている彼女たちと〈歌詞の中で描かれた主人公の人格や価値観〉との相乗効果によって醸し出されているのではないだろうか。

 

 ……などと考えに耽っていたところ電車を乗り過ごした。放っておくとすぐ「25歳永遠説論」について考察し始めてしまうのが悪い癖なのだが,曲の歌詞に描かれた人格から関係性を想像するのはとても楽しいのである。25歳永遠説ちゃんが将来結婚する人はSMAPの『Simple』の彼か平井堅の『いつか離れる日が来ても』の彼であってほしい。とにかく25歳永遠説ちゃんはヒロイン属性を盛られすぎているので学生時代は絶対にクラスのマドンナだったし,その輝きで透明人間を何人か救っていると思う*1

 

『「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの?』の歌詞の女の子はきっと25歳永遠説ちゃんの2学年下だと思う。ひとそれちゃんの好きな人の好きな人が25歳永遠説先輩だったので,ひとそれちゃんは勝手に永遠説先輩にジェラシーを向けていそう。私の解釈では,ひとそれちゃんは「少しヤワな子」を揶揄しているけれど本当にジェラシーを向けていたのは25歳永遠説ちゃんで,そういう意味で背中合わせの両A面なのかなと思っている。

「少しヤワな子」に牙をむくのは「永遠説先輩は分かるとしても,なんであのか弱いだけの子が愛されるの?意味わかんない」というやっかみなのではないだろうか(少しヤワなモブちゃんはとばっちり)。ひとそれちゃんが本当になりたかったのは「ひとりで生きられないか弱い子」ではなく「ひとりでも生きられるけれど周りに放っておかれない子」で,それはつまり25歳永遠説先輩そのものである。彼女のことは校舎ですれ違っても直視できずに素っ気ない態度を抱いていたけれど,いつしか嫉妬と同じ大きさの憧れも抱いていたことに自分では気づいていなかったひとそれちゃんはきっといるし,卒業式では好きだった先輩よりも恋敵だったはずの永遠説先輩のことを思って人知れず涙をこぼしていそうな,不器用で愛おしいひとそれちゃん。そんなひとそれちゃんのお母さんは中島みゆきの『誕生』さんじゃないかな。

 

 高校を卒業した25歳永遠説ちゃんは大学で同期の『素直に甘えて』さんと出会って意気投合しそう。傍から見れば絶対に交わらなさそうな組み合わせなので「なんであの二人仲良いんだろ」と不思議に思われているけれど,本質的な価値観が似ていて就職した今でも月一で会って飲んだり休暇合わせて海外旅行したりするくらいには仲が良い。25歳永遠説ちゃんは酔うと面倒なタイプなので,いつも介抱させられる素直に甘えてさん(アルコールにやたらと強い)の口癖は「酔いたい」。素直に甘えてさんの大学時代のアルバイト先は港区のお高めレストランのバーカウンターで,自宅にも本格的なシェイカーやグラスやリキュールなんかが揃っていそう。カラオケの十八番は椎名林檎の『丸の内サディスティック』。

 25歳永遠説ちゃんと素直に甘えてさんの飲み会にたまに参加する『Fiesta Fiesta』さんは甘えてさんのかつてのバイト先の先輩だったりするのかもしれない。冬になると甘えてさんの自宅で鍋パをする3人。ちなみにFiestaさんは国際線の客室乗務員なので世界を飛び回るバリキャリで各地に男がいそう。お酒が入ると偏差値が5になるので「外面だけの女」と甘えてさんに常々罵られていたり。

 

他にも

  • 25歳永遠説ちゃんは就活のOG訪問を依頼されて知り合った女子大生『アレコレしたい』ちゃんに懐かれていそう
  • アレコレしたいちゃんのバイト先はきっとスターバックス
  • 同じバイト先に世界重い女選手権全日本代表選考の『ポツリと。』さんと,都会生まれ都会育ちの憂鬱系キャピキャピ女子『Vivid Midnight』さんがいて,3人でシフト終わりに遊んでいる
  • 「もう帰らなきゃっていう台詞は帰りたくないって意味なのに」と持ち前の重さを遺憾なく発揮するポツリとさんを「ほらそういうとこ。自覚ある?」と容赦なく切り捨てるビビナイちゃんの横で,アレコレしたいちゃんは阿里山烏龍ミルクティータピオカ入りを満足そうに飲むだけ

のようなことをいろんな曲で妄想して楽しんでいる。人物描写や心情描写が中心の曲なら人間関係の繋がりで妄想できるし,情景描写が多く含まれる曲の場合は地図を作ってみるのも楽しそうである。あっという間に時間が溶けるので,暇で暇で仕方ないときや眠れない夜などに試してみてほしい。

 

 

 2019年から同じこと言ってた

 

 

youtu.be

発売されてから2年近く経つけれど全く飽きない,むしろ聴けば聴くほど新たな解釈を見せてくれる宝石のような曲。

 

 

(※このブログに書かれていることはすべて個人の感想です。)

*1:これは宮崎由加さんが学生時代クラスのあまり目立たない男の子に彼が返してくれるまで挨拶し続けていたというエピソードに由来します。